ストリートから世界へ その9
無舞の快進撃で人生が変わってまいりました。
街を歩くと声をかけられたり(丁髷が目立つから)、演奏スタイルも馴染んできました。
侍とゆうかお祭りとゆうか、褌で普通に電車乗ったりしてたな。
浅草の方に行くと「お祭りかね?」と」聴かれるくらいの当然のスタイル
相方は演奏時はキツネのお面をかぶり乱舞しております、
渋谷でエレクトロミュージックを演奏し始め
丁髷で三味線登場で、歩いてる人たちがお客さんに変わる瞬間
たまりませんわ!!
濃厚な音楽を演奏してすぐに、「レコード店で予約お願いします。」
を繰り返してると、雑誌なども取材依頼、自作のTシャツやカッコつけて、雑誌モデルなんかもやりました。
人生が変わっていく瞬間です。
無舞でラジオ出演
最初は小さな地元ラジオ放送でCDがかかり、そこでのインタビュー
名古屋の大須DANBOや横浜のなど(初々しい時代で懐かしい)で三味線とエレクトロミュージックの出会いなど語っておりました。
そのころ相方の海江田君んはミュージシャンとしてソロ活動しておりましたが、そこのレコード会社の挽地さんがマネージャーをやってくれるとゆう吉報をいただきました。
マネージャーがいてさらに売り込みが進みます。
次のCDの期待も膨らみ
挽地マネージャーのおかげで、インディーズの僕らがビクタースタジオのエンジニアにマスターリングをお願いすることになりました。
車で向かう道中は程よい緊張と興奮を持って、3rdミニアルバム「尾張藩無舞」をマスターリング(販売前の音圧調整)に伺いました。
ビクタースタジオのエンジニアの部屋に到着するまで、有名なレコードやミリオンレコードが飾られた壁と、たくさんのアーティスト写真。
「興奮がおさえきれない」
しかも私たちの担当はサザンオールスターズの「TUNAMI」を作ったエンジニアリング
それはすごい奇跡の瞬間です。
エンジニア「なかなかおもしろい音楽ですね」
ていわれながら音を作りこんでいく
ヘッドホンや、ラジカセ、高級スピーカー
どこで聞いても、どんな機材で聞いても最高な音を作って頂きました。
ここにサザンオールスターズが座っていたんだとか考えながらニヤニヤをしておりました。
「尾張藩無舞」はこだわりのこだわりで紙で作ったプレミアムジャケットで音も最高!!
表のエレクトロニックな日の丸!!
音は聞いた人のみぞ知る名作です。
次回デジタル故の悩み
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