ストリートから世界へ その5
東京進出に辺り、泊まるところもなく朝まで三味線抱えてることもしばしば。
最終的に友人の家に大変お世話になりました。
そこでそれまでの人生観が変わるきっかけの第二弾
「丁髷」ちょんまげデビューのお話
21歳の時にアメリカに憧れて、ロサンゼルス、アリゾナを旅して、「日本の音楽はなんだ?」の質問に答えられなかった自分
金髪、モジャモジャアフロ、ロン毛と時代を流れてきた。
ハワイでは髪の毛真っ赤っかにして、現地人にびっくりされて楽しんでた。
中学のバンドブーム、高校の所ジョージブームで完全にアメリカかぶれでした。興味があったから仕方ない。
日ノ本JAPAN
友人が日本文化や歴史が好きで、家のたくさんの本がありいつの間にか、「日本の歴史」にのめり込んで行きました。
朝まで生テレビを見て朝まで語る、たまに抗議の電話をするなど日本にとても熱くなっていた。
友人「オッキー、ここまで来たら丁髷やらなかんね」なんて冗談で言ってきたヶど
おれ 「やらなあかんわ、日本人の魂みせたる」て始まりました断髪式
先ずはいろいろ本を見て、当時の丁髷を調べる。
友人「沖田総司がやってた榊剃りがいいんじゃないか?」
おれ「いいね~やってみて!!」
友人が髭剃りで丁寧に真ん中をそり上げる
「んんんんんん、海苔が張り付いたみたいで笑える」
当時真ん中だけそる、さかき剃りがありこれをやってみたが、顔的にてゆうか似合わない。
友人「全部剃ったほうがよくない?」
おれ「やりますか!!いっちゃって!!」て完全に上を剃り上げました。
おれ「すっきりした、いいんじゃない」
友人笑いながら「いいやん」
でそこからちょんまげで渋谷に立ちます。
渋谷でのデープインパクト
丁髷で三味線で褌で弾いてたら人集まるわな、
集まったら、ラジカセを聞かせて売る!!
どうだろう、1日で20枚は売れてた。
「2曲で¥1000です」
渋谷のお客さん「スゲーな、三味線で誘われてきたら、丁髷で褌がデシタルミュージックて買うしかないやん」
て「ありがとう」
毎回完売で収入もソコソコでいい感じになってきた。
海江田君と暑い部屋で作る、手作りCDがここで産声をあげる
ここから1000枚完売まではあっという間!!
次号真夏の自主制作
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